「わたしは1個のコップです。どんなお役に立てるでしょうか」 新しい働き方を探求するパラレルワーカーの流儀とは


田幡 祐斤(タバタ マサノリ)
株式会社MIMIGURI(マネージャー)
一般社団法人 自然経営研究会(世話人)
奈良県立大学 地域創造研究センター(共同研究員)
環境教育促進団体elsa(理事)
フリーランス、他

東京都出身。東京農工大学農学部卒業。専攻は環境文化史。
卒業後は、アパレル企業での販売・スタイリストを経験。
その後、マネジメントに関心を持ち人材開発コンサルティング会社に入社。
大手企業クライアントを中心に人材開発施策(研修)の企画・開発・実施を行う。
現在は株式会社MIMIGURIにて、事業開発や組織開発のファシリテーターとして活動する他、様々な組織やプロジェクトに参画しながら、実践と研究、営利と非営利、組織とフリーランスを行き来した働き方をしている。


ユニークな働き方を実践しながら、「新しい働き方と組織の展望」をテ―マに探求を続ける田幡祐斤氏。

彼はパラレルワーカーを1個のコップに喩える。

それは、水を飲むための食器であり、砂場で遊ぶオモチャであり、即席の楽器であり、花を挿す花瓶である、と。

しかも、その用途を決めるのは自分自身ではなく、それを使う人であり、社会の要請である。

それはどういうことだろうか。

パラレルワーカーとしてのあり方

―執筆なさった論文の中で、パラレルワーカーとしてのご自身を、以下のように述べていらっしゃいます。

*****

 私の“働く”は私のものではなく、かといって他者のものでもない。その“あいだ”にある。また、私の“働く”は未来からの逆算で設計されたものではない。過去や他者からの“ながれ”としてある。

(中略)

 「私」はあくまで「田幡祐斤」という存在を社会が使おうとした時の調整役に過ぎない。「田幡祐斤」はその中に複数の関心事や技術を有しているのだが、それを知ってかしらずか、社会はそれぞれが思う「田幡祐斤」に何かを期待し、リクエストをする。

*****

大変、興味深い捉え方だと思いますが、このことに関してもう少し詳しくお話しいただけますでしょうか。

田幡

例えば、1個のコップがあったとします。

そのコップは水を飲むためのコップだと皆が考えている。コップ自身も自分は水を飲むために使われるのだと自己認知している。

でも、それを子どもに渡したらどうなるでしょう?きっと砂場に持っていって遊び始めるでしょう。でも、別の子どもは箸で叩いて楽器のように使ったりする。

すると、コップは、「あれ?自分はオモチャのポテンシャルがあるの?楽器のポテンシャルがあるの?」と思い始めるかもしれません。

そうなると、コップは「将来、自分はいいオモチャ、いい楽器になれるかもしれないな」と思い始めますよね?「じゃ、ちょっといいオモチャになってみようかな」なんて。
あるいは、「最近、僕はオモチャやってるんですよ」なんて言うかもしれません。

でも、そのうちに、今度は「このコップに花を挿してみようか、花瓶として使ったらどうだろう」と考える人が現れる。

一方で、「やっぱり、水を飲ませてよ」と言う人もいるでしょう。

そんなふうに意志も可能性も相互作用の中から生れてくるという感覚があるんです。

僕の「花瓶をやりたい」という意志は、「僕の意志」でも「社会の意志」でもなく、その間にふわっと立ち現れるものだなと。

社会の「今、世の中には花が足りない。花を挿してあちこちに置こう。花を挿す花瓶がもっとほしいな」という声が強ければ、自ずとそっちに重心も傾きます。

そうやって「間に立ち現れる意志」に委ねていると、社会と自分が一緒に色々なことを探求している気持ちになります。

最初からパラレルワーク化を目指しているわけではないんです。そのことはどうでもいい。でも、結果としてパラレルという方向性になるだろうな、とは思います。

偶発性が誘発するポテンシャル

―それは、はじめから理想像を描かない方がいいという意味でしょうか。

田幡

僕自身は違いますが、「こういう働き方がいい」という理想像を抱いている人がいたら、それを目指すのもいいと思います。

ただ、その場合、「その理想像は本当に理想か」と考えることは必要かもしれません。もしかしたら、それは世の中に合わせて描いている理想かもしれないし、世の中を無視して描いている理想かもしれない。あるいは、「こんな働き方はできない」と暗黙の内に切り捨てている部分があるかもしれない。

そんなことを、周囲にある具体的なご縁や機会とセットで内省してみるのもいいのではないでしょうか。

というのも、僕自身がそうなのですが、働き方の事例を沢山知ったり、将来の働き方を一生懸命想像するにしても、1人で考えている限り「想定の範囲内の理想」しか見つけられないと思うんです。

例えば「年収〇〇万円になる」という理想像に向かって頑張ることも面白いと思いますが、理想像自体が変容していくの方が僕は楽しさを感じます。

そうした自分では思いもよらなかったポテンシャルを誘発し、少しずつ引き出してくれるのは「偶発性」です。そういう意味で、「偶発性」が発生する余地を心にも働き方にも残しておく、あるいは意図的に確保するのは有益だと考えています。

―ここに至るまでには、紆余曲折がおありでしたね。最初は迷われた末にアパレル業界に飛び込まれました。そこで、居場所や発言権を得るために、ノルマを果たし懸命に働いた。
でも、そのうちに、自分でも思ってもみなかった働き方に陥っていて、その結果、同じ職場のスタッフとの関係性も悪化してしまった。
そこから紆余曲折を経て今に至ったわけですが、その辺についてお話しいただけますでしょうか。

田幡

今、当時のことを俯瞰すると、まず「こうしたい」という意志や目標があって、そこに至るまでのプロセスイメージががっちりあり、それを頑張って実現しようというのが当時の頑張り方でしたね。

でも、現実にはそのイメージ通りにいかなくて、不安を感じたりイライラしたりしていました。

その後、転職しましたが、それからは「理想に至るプロセス」については柔軟に捉えられるようになり、「こんな頑張り方もあるのか」と発見を繰り返していく働き方になりました。「気づき」や「学び」に恵まれた、そんなフェーズでしたね。

ただ、その時も理想自体はやはり固定的に描いている感じはあって、「理想になれていない現実」のギャップには相変わらず不満やストレスを抱えていました。その不満感は外にも向けられていて、例えば会社に対しても「こうあってほしい」とか「こうあるべきだ」という不満的なニュアンスを持った想いがありました。

そうした経験を経て、今は、プロセスを楽しみながら、理想像も柔軟に変わっていくという状態ですね。

―先ほどのお話のように、「偶発性」が新たなポテンシャルを産み出すということでしょうか。

田幡

はい、今は偶発性があるからうまくいくというふうに考えています。

ただ、振り返ってみると、アパレル業界に入る前の学生時代は生態学を学んでいましたので、例えば遺伝子の突然変異であるとか、落雷による倒木だとか、偶発性を内包していることが自然界の原理だというような認識はもっていました。

そこに面白さを感じていたはずなのに、働き始めたら「偶発性をできるだけ排除して確実性を高める」「目標を設定し、逆算して考える」というのが、暗黙のうちに絶対的に正しいことのようになってしまっていました。

でも、今は偶発性を大切にしています。

「仕事観」は仕事の意味づけを変える

―「仕事観」が変わると同じ業務であっても、意味づけが変化すると、論文に書いていらっしゃいますね。

田幡

はい、同じことであっても、視点によって、自分の中の意味づけが変わり、見えるものも変わってくる、ということですね。

アパレルにいたときは「やりたいことを実現するための道具」として仕事を捉えていました。なので、「この仕事は自己実現に役立つからやるけれど、これは役立たないからやりたくない」みたいな気持ちがあったんですね。

転職してからはもうちょっと柔軟になり、「理想の実現のための道を見つけていくためのもの」として仕事を捉えるようになりました。もっと端的に言えば、「仕事=学び」であり、「仕事する=自分が変化(成長)すること」という価値観です。

そういう仕事観をもつと、今度は「この人や機会は自分に良き学びを与えてくれるものか否か」という見方をするようになりました。意味のある見方ではあると思うのですが、でもそんな目線でばかり周囲を見ている自分にもだんだん違和感を覚えるようになっていきました。

そして今では、「仕事とはギフトすること」という仕事観をもつようになりました。
そうすると、「自分のプレゼントを喜んでくれる人は誰かな?」「この人にあげるとしたら、どんなギフトがいいだろうか」「自分では気づいてないけど、意外と喜ばれる(贈れる)ものは何だろう?」というまなざしになるんですね。

このように「仕事観」によって、客観的には同じ仕事であっても、別の尺度で見えてくるものがあります。

―現在、正社員として所属していらっしゃるMIMIGURI様との関わり合いは印象的です。
最初はオンラインコミュニティの有料会員でいらしたのが、次に業務委託契約を結び、1年間かけて調整しながら正社員になられたという流れがありますね。

田幡

最初は人材開発や既存の研修の方法に限界を感じていたときに、MIMIGURI(当時はミミクリデザイン)の講座に出会い、参加しました。「自分の成長に生かせそう」だと思ったんですね。

ただ、いざ参加していたら、「何を学べるか?」ではなく、「そもそも”学ぶ”とは何だ?」ということが気になってきました。それまで「学ぶ」ことは「インプットする」ことだと思っていたんですが、それを改めて問い直したいという気持ちですね。

そう思えた理由は、そこで出会ったコンテンツやそこにいる人たちが魅力的で、そこにいる時間がシンプルに「楽しい」と感じられたからだったと思います。
これはMIMIGURI以外の私が参画しているコミュニティ全般に言えることです。

学びとは「得る」ものじゃなく、他者との相互作用の中で「生まれる」ものだという捉え方になりました。そしてそのうちに、「知識を渡す/受け取る」関係から、「知識を共に創る」関係性になりたいと気持ちが変化して、コアファンからメンバーになったという流れです。
それが3年前のこと。

こうした体験から、「人間は1人で学ぶようにできていない」と考えていますし、前半の話に戻れば「人間は1人で理想像を描けるようにできてない」と感じています。

「葛藤」と「対話」・「関係性」

―複数の仕事をなさりながら、「自分が本質的に行っていることは何か」について考察していらっしゃいますね。それはどういうことでしょうか。

田幡

パラレルワーカーは自己紹介が面倒ですよね? 「Aで〇〇をやっています」、「Bで〇〇をやっています」、「Cで・・・」っていうように。

でも、形式的な内容はバラバラな3つの仕事だとしても、「それを総括すると、要は何をやっているのか?」を考えてみるということです。

そうすると、例えば、「要は、“世の中をもっと生きやすくする”という仕事をしているんです」みたいなコンセプトやスローガンが見えてくるかもしれません。

パラレルワーカーは、と言いましたが、これはひとつの会社で働いている人でも同じじゃないでしょうか。
会社の中で複数の仕事・業務を持っていたり、経験したりしていれば「俯瞰して見ると、自分は会社/社会に対して、要は何をしてきた/しているんだろう」と考えてみることはできるかと思います。

ただ「自分が本質的に行っていることは何か」の考察については、その結論自体はそんなに重要じゃないと思っています。考える過程で、そう簡単には「本質的にはこれ」と一括りにできない、自分の活動の「バラバラさ」や「矛盾・葛藤」が出てくると思ってます。一方では「利益の最大化に邁進する仕事」をしていて、もう一方では「無償で奉仕する仕事」をしているとか。
このバラバラさ、葛藤を悪いこととせず「自分らしさ」と捉えられると、働き方が楽しく展開していくんじゃないかなと思ってます。僕にとって、「葛藤」はすごくポジティブな意味で使う言葉です。

例えば、余暇に何をしようかなと考えるとき、「Aもしたいし、Bもしたい。どうしようか」みたいに悩みますね。

惹かれるものが2つ以上あって、それが重なることはなくて、両方ほしいという気持ちで葛藤する。でも、大事なのは、AとBで悩んでる自分がいること、CやDでは悩んでいない自分がいることかと。

僕の仕事の「パラレル模様」は、そのまま「葛藤模様」とも言える気がしています。葛藤が沢山生まれている時はパラレル化が進みますし、葛藤がうまく統合された時は仕事も1〜2つに収束していきます。

葛藤を大切にする感覚が、「頑張ってみる」ことも「新しいことをやってみる」ことも支えてくれている気がします。

また、葛藤を大切にし続けるために必要なのが誰かとの対話です。

葛藤に向き合ってると時に自己矛盾感やモヤモヤ感に染まることもありますが、葛藤している状態そのものを肯定的に受け止めてもらえるような対話は、健康的な探究心を支えてくれます。

先ほど、気づきや学びは自分ひとりでは生じないと言いましたが、心の健康も対話や関係性からもたらされるものだと思います。

読者へのメッセージ

転職を考えていらっしゃる方へ

―転職を希望されている方々は、仕事や仕事と自分との関係、あるいは自己実現について悩んでいらっしゃるのではないかと思います。
そのような方々にメッセージを送っていただけますでしょうか。

田幡

偉そうなことは全然言えないのですが、「自分にとって働くってなんだろう」っていう問いをもつといいのかなあと思います。

ただ、答えのない問いなので、悩みを増やしてしまうかもしれないのですが。

その問いについて迷うこと自体をネガティブに捉えずに、むしろいいものだと捉えて、「気持ちのいい迷い方」「迷子を楽しむ」ができるといいんじゃないかなと思います。

そして、そういうときに、ひとりで抱え込むのではなく、人と話すのがいいかもしれません。

それは、「人の言うことを聞く」という意味ではなくて、「人と話しているうちに見えてくる自分の気持ちやアイデアに気づく」という意味で、人と話すのは有益だと思います。

転職エージェントへ

―転職エージェントは、転職を希望する求職者と優秀な社員を獲得したい企業とを仲介する存在です。それだけに悩みも多いのではないかと推測しますが、そういう方々に向けてのメッセージをお願いいたします。

田幡

僕は転職エージェントの方がどんな仕事観をもっているのか、というのが気になります。

その方自身はどういう働き方の感覚をもっていらっしゃるのだろうか。そして何より、「転職するとは、つまり何をすることか?」というその人なりの価値観、つまり「転職観」が気になります。

「複職する」「フリーランスになる」「起業する」など働き方自体が多様化している中で、「転職する」にこだわるとするなら、それはなぜか。もしこだわらないなら、転職エージェントではなく何エージェントと自分を呼べそうなのか。ちなみに僕なら、働き方の葛藤に寄りそう「葛藤エージェント」になろうとしそうです(笑)

また、「転職」を「移住」に置き換えたら、そのエージェント活動とはどんなものになるのか、といった思考実験も面白そうです。

「移住する」に含まれる価値観や選択肢も、非常に多様ですよね?

その多様性に対し、エージェントとしてどう向き合ってるか、あるいはどう悩んでいるか(葛藤)という個性に僕はとても興味がありますし、大事にしていただけたらいいんじゃないかなぁと、門外漢ながら思います。

最後にもう一言

―最後にもう一言、どうぞ。

田幡

いろいろお話してきましたが、僕自身を先進的な事例としてみていただく必要はありません。

「働き方」というテーマに沿ってもう一言、ということであれば、自分の探求心をみつけるといいのではないかなと思います。

僕は時々、場づくりに関するワークショップなどで、「専問は何ですか」と参加者に問いかけます。

「専門」ではなく、「専問」、「専ら問うていること」ですね。

気になってそそられるようなことがあったら、それが仕事に繋がっている、あるいは繋がっていくのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。


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【インタビュアー】横内美保子(よこうち みほこ)
博士(文学)。元大学教授。大学における「ビジネス・ジャパニーズ」クラス、厚生労働省「外国人就労・定着支援研修」、文化庁「『生活者としての外国人』のための日本語教育事業」、セイコーエプソンにおける外国人社員研修、ボランティア日本語教室での活動などを通じ、外国人労働者への支援に取り組む。
Webライターとしては、主にエコロジー、ビジネス、社会問題に関連したテーマで執筆、関連企業に寄稿している。
Twitter:@mibogon