初めての結婚生活は、当時の夫が勤めていた会社の社員寮でスタートした。そこは紅梅荘という名の家族寮で、鉄筋コンクリート造りの「ザ・団地」だ。
間取りは2DKだが、部屋は広々として収納スペースも多く、新婚夫婦には十分だった。
立地が良く、南向きで、内装もきちんとリフォームされていたのだが、昭和のノスタルジー臭が強い築45年の社宅に入居したがる社員は少なかったようだ。
駐車場代込みで月5千円と破格の家賃にも関わらず、紅梅荘は半数以上が空き部屋だった。
マイホームを持たない社員の多くは、例え家賃の自己負担が重くなっても、住宅補助をもらって新しく瀟洒な賃貸マンションに住むことを選んでいた。いわゆる借り上げ社宅だ。
紅梅荘のような社宅は、建物の古さ以上に人間関係の煩わしさが、若い世代に敬遠されていたのだろう。
確かに、紅梅荘では住民同士の距離が近かった。
そこに住む妻たちのほとんどは、妊娠中か子育て中の専業主婦だったからだ。子供の年齢が近ければ、母親たちは自然とママ友として交流するようになる。
夫たちがみな同じ会社に勤めており、子供たちは共に遊びながら成長し、自分たちも毎日のように顔を合わせて井戸端会議をするのだから、たちまち互いの家庭の事情に詳しくなってしまう。
しかも、防音がしっかりしていない紅梅荘では、各家庭の生活音が筒抜けだった。
プライバシーの無い生活に強いストレスを感じる人たちは、早々にマイホームを購入してそそくさと引っ越していったが、私は長屋のような暮らしをけっこう楽しんでいた。
幸運なことに、口やかましい年寄りが牛耳る第1紅梅荘とは違い、私たちが暮らした第2紅梅荘には若い世帯しか住んでおらず、割と気楽に暮らせたからだ。
その上、第2紅梅荘のママたちは高学歴で人柄も良く、専業主婦にしておくにはもったいないと思える人材の宝庫だった。
紅梅荘での日々は、20世紀が終わり、新世紀の幕開けに人々が浮かれている頃だった。けれど、私たちに新時代はまだ見えない。
当時、家事育児は当然のように女の仕事とされており、「3歳児神話」(子供が3才になるまでは母親が子育てに専念すべきであり、そうしなければ子供の成長に悪影響を及ぼすという考え方)も大手を振っていた。
よほどの事情がない限り、女は妊娠したら仕事を辞め、子育てが一段落するまでは育児に専念すべきと考えられていたのだ。
「保育園に預けるのは子供が可哀想」と言われ、一時保育やベビーシッターすら誰も利用しようとしない。
そんな中では、「子供と24時間向き合っていることがしんどい」などとは、口に出すこともはばかられた。
紅梅荘でお世話になった先輩ママの中でも、特に親しくさせていただいたのが、獣医師の美津子さんだ。
美津子さんとは、お互いの第一子が同い年だったことで親しくなった。彼女は一回り年上のお姉さんだったが、私たちは世代が違っても馬が合い、頻繁にお互いの家を行き来したり、よく一緒に出かけて遊んだものだ。
学生時代からの恋人と長い交際期間を経て結ばれた美津子さんは、当時としては結婚も出産も遅かった。35歳を過ぎてからの初産はトラブルが多く、妊娠6ヶ月目で強制入院となり、帝王切開の日まで絶対安静で過ごしたそうだ。
大変な思いをして産んだ愛娘を彼女は慈しみ、子育てを楽しんでいるように見えた。
女の子の母親と男の子の母親という違いもあったのだろうが、子供に手を焼いてイライラしがちだった私と違い、美津子さんは穏やかで、子育てに専念する生活に不満を感じている様子も無かった。
「私は、独身時代にやりたいことを全部やってから結婚してるからね。独身の頃は時間もお金も自由に使えて楽しかったけど、働くのも遊ぶのも、私はもう十分かな。今は家で子育てする生活が幸せ」
と話す美津子さんが、私には眩しかった。けれど、「もったいない」という気持ちも拭えずにいた。
美津子さんは、1990年代初期に大ヒットした「動物のお医者さん」という漫画が流行る前に獣医師になっているのだ。実家が酪農家であることが進路に影響したのだろう。
流行に乗ったわけではなく、将来のことをよく考えた上で獣医学部に入ったはずだし、努力も相当してきたはず。なのに子供のためとは言え、そうした資格やキャリアをあっさり捨ててしまって惜しくはないのだろうか。
「家で子育てしてる今の生活が幸せ」と微笑んでいた美津子さんが変わったのは、第二子を出産してからのことだ。今回は妊娠中のトラブルは無かったが、生まれてからが大変だと愚痴をこぼすようになった。
美津子さんと次女のチエちゃんは相性が悪く、育てにくさを感じたらしい。同じ我が子であっても、長女の時と違って子育てが楽しいと思えなくなってしまったと、暗い顔をすることが次第に増えていく。
やがて長女が小学校に上がり、次女が2才になる頃、「チエと二人で家にいる時間に、これ以上は耐えられない」と美津子さんは悲鳴をあげ、仕事を探し始めた。
都合のいいことに、この頃には「子供が大きくなるまで、母親は専業主婦でいなくてはならない」という社宅内の呪縛も緩んでいた。
紅梅荘はメゾン・ド・プラムと名前を変え、3LDKのマンションに建て替えられてから、様々な変化が起こっていたのだ。
お互いの生活の様子が筒抜けだった昭和の団地から、防音対策がしっかりされた新築マンションに社宅が変わると、それまで親密だった住民同士の付き合いは急速に疎遠になった。
そして、ご近所付き合いが減ると周りの目が気にならなくなるのか、あるいは密室育児に母親たちが消耗するようになったのか、子供を預けて働く人が増え始めていた。
短時間のパートではなくフルタイムの仕事を希望した美津子さんは、派遣会社に登録した。定時で上がれる事務の仕事を紹介してもらうと、運良く公立保育園の審査にも通り、平日は毎日7時近くまでチエちゃんを預けて働くようになる。
全ては順調に思えたが、美津子さんが会社勤めと育児の両立にすっかり慣れた頃、リーマンショックが世界を襲った。そして、彼女は突然の契約解除を言い渡されてしまう。
美津子さんだけではない。あのとき彼女の派遣先だった大企業では、大勢いた派遣社員が一斉にクビを切られたのだ。
「すごいショックだった。同じフロアで仕事をした人たちが皆んなクビになってしまって…。あの人もこの人も、もう要らないんだ。そして、私も要らない人間の一人なんだなぁと思ったら、悲しいやら虚しいやらで…」
しかし、放心している場合ではなかった。直ぐにでも次の仕事を見つけなければ、保育園でチエちゃんを預かってもらえなくなってしまう。
チエちゃんの小学校入学まではあと1年ほどだったが、例え1年でも母子で過ごす時間が増えるのは耐え難かったらしい。美津子さんは必死になって転職先を探した。
初めのうちは、
「もう派遣切りに遭うのは嫌。元々のキャリアと資格を活かして、獣医師として再就職することにしたわ。年齢を考えても、復職するなら今がラストチャンスだと思うし」
と意気込んでいた。
なのに求人の出ていた幾つかの動物病院では、ブランクがあることで即戦力にならないと不採用になったり、
「保育園のお迎え時間までしか働けないのであれば、採用は難しい。夕方からが忙しいのだから」
と断られ、獣医師として再スタートするという目標は早々に頓挫してしまう。
仕方なく他の職種も当たってみたが、リーマンショック後は若い失業者たちが街に溢れており、40代半ばの美津子さんは不利だった。
「色んな求人に応募したけど、ことごとく不採用。接客はしたことないけど、ファミレスの面接にも行ったんだよ。それでもダメだった。
どこだったら働かせてもらえるんだろう…。私の年齢で雇ってくれるところはないのかな」
そう言って肩を落とす美津子さんの姿に、私はまた「もったいない」と思わずにいられなかった。
美津子さんは勉強に励み、国家試験をパスした優秀な獣医師なのに、なぜ社会は彼女の資格とキャリア、能力を十分に活かせないのだろう。
結局、他に選択肢のなかった美津子さんは、介護施設で働き始めた。
腹を括って仕事に取り組み、資格の取得も試みたものの、未経験で体力的にもキツい仕事は長続きしなかった。すっかり働く自信を失くした彼女は、それ以降は仕事を探さず専業主婦を続けている。
美津子さんが再就職に必死になっていた丁度その頃、私は女性医師専門の転職エージェントが誕生したというニュースを読んでいた。
世の中には、出産を機にやむなく離職した女性医師が大勢いる。貴重な人的資源である彼女たちが働けずにいることは、社会にとって大きな損失である。
子育てをしながら働くことのできる職場と、現場を離れていた女性医師たちをマッチングすることで、埋もれている貴重な人材を活用できる。このサービスは女性医師のためであり、ひいては医療現場のためでもある、という内容が書かれていた。
もし獣医師にも同じサービスがあれば、美津子さんもキャリアを継続できたのにと、記事を読みながら私は残念で仕方なかった。
あれから10年以上の月日が経ち、美津子さんは直に還暦を迎える。
二人の娘の子育てを終えつつある彼女は、今でも実家に帰ると肩身が狭いとため息をつく。
母親から、「折角お前にはお金をかけて勉強させたのに。無理して払ったお金が無駄になった」と、獣医師として働き続けなかったことをいつまでも嘆かれているそうだ。
自ら専業主婦の道を選んだとは言え、美津子さんにもキャリアを中断した後悔が無いわけではない。
今では獣医師向けの求人サイトもできて、一昔前に比べて格段に復職や転職がしやすくなっているが、残念ながら美津子さんが復職を目指した時にそうしたサービスは間に合わなかった。
美津子さんの母親世代は、女たちが学びたくても思うように学べなかった世代だ。だから娘に希望を託して学ばせたのだろう。
しかし美津子さんの世代は、学べてもキャリアの継続が難しかった世代なのだ。
母親が美津子さんに希望を託したように、美津子さんもまた「娘たちには、手に入れた学位と資格を活かして欲しい」と、自分の代では叶わなかった生き方と希望を、次の世代に託そうとしている。
彼女の上の娘は、来春から社会人だ。
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【著者】マダム ユキ
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